5月17日が来ると
毎年思い出します
私が4回目の結婚、事実婚の解消を
決意した日です
それより以前より兆候はありました
小さな種が生まれたのは
5月5日
ゴールデンウィーク中に
私は流産をしました
それまでにも
すでに3回の流産を繰り返していて
今回も
心音が確認できていなかったことから
そのうち流れるのではないか
と言われていての出来事でした
朝から
出血をしたので
「ああ、きたな」
と思っていました
そこで
元夫にも
そう言い
その後
激痛がやってきました
どうやら
流れ切らずに
途中で引っかかっていたとのことで
それが激痛を引き起こしていました
私は
元夫に
病院に連れて行ってくれるように頼み
まだ2歳の絶賛イヤイヤ期の息子と
そんなイヤイヤ期に疲れ果てていたような元夫
オムツ一丁で泣き叫ぶ息子を
近くでお世話になっていたご夫婦に預け
私をタクシーで病院まで連れて行ってくれました
その後の
彼の一言
「俺の、ゴールデンウィークは」
この一言に愕然としました
そして
4回目の流産をもって
まるで
神様から
もう、このパートナーとの子をなそうとすることは
諦めなさいと言われているような
そんな気がふとしました
結婚は
生存・保存・依存
と言われるそうです
4回目の私の結婚は
おそらく保存のためだったのでしょうね
40歳になるまで
3回の結婚をしても
子には恵まれませんでした
それが
初めて
4番目の元夫との間で
妊娠・出産し
その後も
妊娠だけは4回もしていましたので
「2番目の子供が欲しい」
という
女性的種の保存の生存本能が疼いたのか
妊娠・流産を繰り返し
2年が経過していました
「もう、諦めよう」
ふと
そんなふうに思えました
そこからの展開は早かったです
5月10日から
アカシックリーディングのセッションを受けるようになりました
私の相談事は
元夫とのこと
そのころは
まさか別れるなんて
思ってもいませんでした
しかし
5月17日
それを後押しするような出来事が起こりました
私は
朝から微熱がありましたが
仕事の予定があったため
大田区のお客さん宅まで行っていました
離婚後に
相手の方が荷物を取りに来るための立ち会いです
相手の方がお荷物をまとめている最中は
私もパソコンで仕事をしながらでしたので
元夫とLINEでやりとりができました
息子の保育園の先生から
息子が3日も保育園を休んでいる
という連絡を受け
元夫に保育園に連絡をするようにと言いました
3日間も登園していなかったことを
私はその時初めて知りましたし
連絡すらもしていなかったことも初めて知りました
そのころの息子は
絶賛イヤイヤ期
保育編へ送っていくのも一苦労でした
子供の鳴き声がダメな元夫は
息子がイヤと言えば
登園させることができなかったのでしょう
でも
連絡もしていなかったなんて、、、
そのころの私たちは
私が外で働いて
元夫が専業主夫みたいな状態になっていました
その保育園のことで
日中、元夫とLINEでやりとりし
18時30分ころ帰宅しました
家に着く
少し前に
「いつ帰ってくるの」
といったLINE
私は
大田区へ行くことを元夫に言っており
大田区のお客さんのお宅を出るときには連絡をしていました
18時30分ころに着くことは
当然元夫もわかったはずです
家に帰ると
元夫は
猛烈不機嫌です
「俺の仕事の予定はどうしてくれるんだ!!」
そのときになって
その日、元夫が人と約束があると言っていたことを思い出しました
しかし
それまでの日中、さんざんLINEでやりとりをしていたのですから
そのときに再度言ってくれればいいのに
そのときには一言も言いませんでした
さんざん、自分が今日約束があると言っていたことを
私が忘れていたことをなじる元夫
ちなみに、こういった揚げ足行為的なことはしょっちゅうでした
いい加減、私も頭にきて
自分が体調が悪いのに
それを押して、家族のために
家族の生活のために
働いてきたのに
元夫は家に1円もお金を入れていませんでしたので
「あなたの仕事なんて、遊びのためだけでしょ!
なんで家族のために働いている私があなたの遊びのための仕事に
配慮しなくちゃならないのよ!!」
と言い放ちました
ああ、こんなことを言うと
モラハラ夫みたいだなぁ。。
なんて
自己ツッコミをしながら
そこから
でした
離婚(事実婚解消)に向けて
動いたのは
元夫は
一度機嫌を損ねると
自室から出てこないタイプです
その時も
それ以来
全く出てこない、もしくは
私たちがいないときに外出する
ようになり
育児、家事、仕事はいわゆるワンオペ状態です
元夫はすぐにストライキをするのです
確か
5月19日だったかな
当時、華僑を迎えていた
私が取り扱った離婚案件史上
一番長く大変だったDV案件の依頼者と
打ち合わせをする必要がありましたが
私はやむを得ず、息子を連れて行き
依頼者も快く息子の面倒を見てくれました
その後
6月上旬には
(ここは、私の中の記憶の中では記憶は明確ではない)
当時、私が借りていた賃貸住宅から
元夫に出て行ってもらうこととし
正式に事実婚が解消されました
事実婚は
離婚届の提出がいらないので
(そもそも婚姻届も出していないので)
同居の解消
をもって
解消
となるのです
そういえば
それよりも3年前の
同じころ
私は
信頼できる
おじいちゃまから
言われたこともあって
元夫に
婚姻届を書いて渡したことがありました
けれど
結局
元夫はそれを出さずじまい
結局、汚れた部屋の中に
その当時まであったのではなかったのかな
結局
彼が出してくれなかったことも相まって
私は
簡単に
関係を解消することができたわけです
もちろん
それまでの心の葛藤は
簡単ではありませんでした
たくさんの
お世話になった方に話を聞いてもらったり
メルマガにも書いたら
元相談者さんとか
上記の息子の面倒を見てくれた依頼者さんとかが
いつもとは逆の立場で
私に優しくアドバイスをしてくれたり
激励の言葉をかけてくださいました
そんな言葉に
押されて
私は
初めて
子どもがいる状態での
離婚(事実婚の解消)
をしたのでした