こういう題名の
パフィーの歌があったような
離婚弁護士
なんていう仕事を
長年やっていると
様々な
愛のカタチを発見します
D V
モラハラ
も
愛なのです
そう
愛のカタチは様々
その人にとっては
最大限の愛の表現が
相手にとっては
最大限の苦痛でしかなかったりもする
そういう
夫婦のすれ違いを
とても多く見てきました
そう
どちらも
どんなカタチも
愛、なんですよね
一応
でも
好みや好き嫌いがあるように
別に
その人の
愛のカタチに
無理やり自分が合わせなければならないこともないし
無理して我慢して受け取る必要もない
ダンナさんはギラギラ中華が好きで
奥さんはアッサリ和食が好き
そんなような違いのもの
ダンナさんは
自分が好きな
油たっぷりのメチャクチャ美味しい中華を
もちろん
愛しているから
奥さんにも食べさせてあげたかったり
実際に食べさせてあげても
奥さんが
油っぽいの苦手で
いや、むしろ、好きではなくて、嫌いで
それなのに
もちろん、美味しいから、それを食べさせたいから、喜ぶだろうから
という理由で
ダンナさんは
自分がとっても美味しいと思っている中華を
奥さんにも食べさせようとするんだけど
それって
奥さんが嫌いであれば
苦痛でしかない
まず
それを
わかる必要があるよね
自分が何が好きで
何が好みで
相手が何が好きで
何が好みか
自分を知り
相手を知る
自分を大切にして
相手も大切にして、尊重する
それが
ベストなパートナーバランス
ってやつなんじゃないのかな
相手が
何を望んでいて
何を求めているのかを知り、探り、知る努力をし
そして、それを認め、受け入れ
もし
提供してあげたかったら
すればいい
もし
このダンナさんも
無理して
好きでもないアッサリ和食を食べるくらいなら
お互い別々でも
食事の後で
美味しかった食事の感想を
シェアしてもいいよね
いつも
一緒
全部
同じ
が
いいわけでも
ないのかな、
と思う