今日は珍しく残業です
昨年1月から
息子が短時間での保育時間しか認定を受けられなかったため
毎日夕方5時にお迎えでした
今日は
息子は、お父さんとの宿泊面会交流
保育園のお迎えからお父さんと一緒です
そのため
1年ぶりの残業
思う存分の残業!!
私はこの時間帯(夕方5時以降)
が一番仕事が乗るので
北海道にいた頃は
よく深夜まで
一人で仕事をしていたものです
見回りのビルの警備員さんが来て
まだやってるんですか、みたいな顔されて 笑
財産分与調停の申立書を
財産一覧表を作って財産資料を整理して
分与額はこのくらいになりそうね
なんて依頼者さんとチャットで話しながら確認して
そんな
充実した時間を過ごしていたら
BGM として流していた
1990年代J-POPで
懐かしい
MISIAの忘れない日々、だったかな
が流れてきました
この曲
私が司法試験受験生のときに
よく聴いていた曲
思わず
実家での
受験時代の自分の部屋が思い出されました
そのときの
空気感
そのままに
受験生のときは
本当に
閉塞感が半端なかったなぁ
いつ受かるかもわからない
自分の能力や実力も信じられない
そんな閉塞感でした
今のようにインターネットもなかったから
情報とかもなかったでしたしね
もちろん友達も予備校で一緒の数人のみ
今の受験生たちはまた違うんだろうな
情報が少ない分
この先、どうなるんだろう
みたいな閉塞感や不安がありました
押しつぶされそうな、ね
きっと
私のところに
離婚の相談にいらっしゃる方たちは
あの時の
私の
あの感覚と似ているんだろうな
私のように
今はこうして
弁護士してたって
それになるには
皆さんと同じように
悩んだり
不安だったり
とてつもなく不安だったり
したものですよ
それを
同じように
乗り越えて
えいやっと
なんとか
乗り越えて
今があるんです
今、資格があって
女ひとりでも
稼げて
仕事ができて
子供を育てながら
生活をして
が
できてる
それは
あの頃の
あの辛い
なんとも言えない
思いがあったからじゃないかな
そこを
通り抜けてきたからじゃないかな
と思います
だから
例えば今、仕事がなかったり、仕事ができなかったり
大した収入がなかったり、しても
(私も司法試験受験生時代は極貧でしたよ笑
それでも、実家暮らしでしたから、それほど大変ではありませんでしたが)
乗り越えて
くださいね♡
MISIAの歌を聴いていて
母のことを
思い出しました
受験生時代
実家で
支えてくれていた母
私の
今の仕事の原点は
母です
弁護士になったのは
おそらく父がそうだから
だと思うのですが
離婚弁護士になったのは
母の影響
私にとっては
毒母でもあり
父にとっては
毒妻(?そんな言葉あるのかしら笑)
でもあり
最近はずっと
悪者扱いの母でした
しかし
ふと
受験生時代のことを思い出して
そういえば
母は
支えてくれたな、優しかったな、と
そう
母は
愛情深い人ではあるのです
父が出ていってからも
ずっと
父を待っていたようでした
今でも
父が出て行った家に一人で住んで
父が残していったものを頑なに捨てようとはしない
そんな母の姿を見ていた母の親友は
母のことを「無性の愛」なんて呼んでいました
その頃は
私はまだ子供で
恋愛すらまだよくわからない頃だったから
そう呼ばれた母が「そんなんじゃないわよ」と否定するので
私は「そうか、じゃあ、違うんだ」と思っていましたが
今
こうして
たくさんの、たくさんの
女性たちの、男性たちの
色々な
愛の形を見てきて、見させてきてもらって
触れさせてきてもらって
たぶん(とつけちゃうけど 笑)
あれは
母なりの
まさに「無性の愛」だったのだろうな
と
今、ふと
思いました
母は
とても、とても
不器用で
表現が下手で
負けず嫌いで
そんなんだから
こうして
私にも
全く伝わってこず
むしろ
私も父も
母に危害を加えられた
と思っていました
いや、ほんとに
でも
母は
違ったんですよね
でも伝わらない
全然
伝わっていなかった
ま
可哀想と言えば
可哀想です
可哀想な人生です
そんなこと
アカシックリーディングのときにリーダーさんに言われたことがあったな
と、いかん!いかん!!
もうこんな時間!!
帰らなきゃ!!
犬が待ってる!!
そういえば
北海道の頃も
犬がいた
あの頃の犬には
ずっとこうして不在にしていて
とても寂しい思いをさせてしまったな