4回目の離婚(事実婚を解消)した後、2019年7月〜2020年6月まで、私は初めてシングルマザーとなってから、息子とお台場に住んでいた。
こうして書いてみると、たった11か月の期間だったけど、とても思い出が沢山つまっている場所である。
今日、久しぶりに、西松屋で買い物をするために、こっちまで足をのばした。
デックスの一階は、ほぼ丸々、外国人観光客、とくに中国人のための買い物施設になっていたのだが、あそこは、コロナになってからどうしたんだろう、、
と思っていたら、当然のことながら、その施設は、丸々、子ども用の遊び場になっていた。
大人と子どもで1200円
この手のものでは、なかなか安く、しかも、遊び道具もかなり豊富に揃っていて、広く、大人用の休憩場所も充実している。
今日は三連休の最終日のしかも終了30分前だからか、とても空いている。
この充実した施設がもったいないほどだ。
当時、ここでよく、外国人観光客向けに売っていたトミカなどのおもちゃを息子にねだられたものだ。
一度、無理やり諦めさせようとして、ベビーカーで連れ帰ったが、大泣きしてベビーカーから脱走され、おもちゃ売り場に戻って行ってしまったことがある。
その後、小児精神科医の友人から、「お買い物こだわり」というのがあるらしいことを聞いて、なるほど、と思った。
今では、ずいぶん、前に比べると我慢することができるようになったが(それでも、イベントのときにしかおもちゃを買ってもらえない場合に比べたら、まだまだ多いが)、あの頃は、ずいぶん、おもちゃを買わされたものだ。
お台場に住んだのは、夢での啓示であった(笑)。
元夫との事実婚解消を決定的に考えるようになった出来事があった後、この私でさえも、皆さんが離婚で悩むのと同じように、眠りが落ち着かない日々を送っていた。
そんな、混沌とした眠りの中で、ある夜、大阪へ引っ越す当日、という夢を見た。
しかし、私は大阪に引っ越したくないと言う。そして、札幌の大谷地かお台場ー!と叫んでいるのである。
どれも、「お」で始まる地名(笑)
そこで、あまりに鮮明に、その地名が、目を覚ました後も鮮明に残り、私は、そのまま、お台場にすむことにした。
元々、お台場は好きな場所でもあった。
レインボーブリッジに一番近いマンションの、レインボーブリッジがよく見える部屋にした。
当然、駅からは遠く、車がないと不便な場所であった。
港区、とは言え、中心地に行くにはレインボーブリッジを渡らないと行けず、だからこそ、海を超えて見る高層ビルやタワーマンション、東京タワーの夜景は格別なのであろうが。
一人で子育てをする、ということに、とてつもない不安のようなものを抱えていたけれど、やってみると、そんなに不安に思っていたほどではなかった。
むしろ2人だし、気楽さもあった。
すべて、自分で決めて、自分で行動して、自分のしたいことだけをしたからだろうか。
そして、この頃から、本格的に、自分を見つめる、ということをし始めたときだった。
前年にスピリチュアルスクールの1年間のコースを終えて、現在に続く齊藤つうりさんの講義を受けるようになった頃だった。
自分の時間や場所、空間ができたことで、自分に向き合う時間や空間ができたのだろう。
それまでは、いつも一緒に居てくれる人が欲しい、と思っていたのに矛盾なものだ(笑)。
そういえば、3番目の元旦那さんと別居することになって、その後、事実婚を始めるまでの3年4か月の間は、自分を見つめる時間があった。
ただ、その間に、事務員を全員リストラし、離婚をし、新人弁護士に辞められてしまい、パート、アルバイトさんが安定せず、事務所を引っ越しし、事務所の資金繰りに窮し、東京に戻ることにし、、、、、
と、激動の3年であった。3年なんてあっという間。
それに比べたら、事実婚を解消してから現在までの3年強の間のほうが、よっぽど、自分と向き合える時間だったように思う。
東京で根を下ろさせてもらって、仕事も安定して、落ち着いてきた、というのも、理由のひとつかもしれない。
この間、いろいろな、たくさんの方々のお世話をさせてきていただいた。
特に、最後までお付き合いさせていただくことのできなかった方ほど、自分の中の印象が強い。
あの方、どうなっただろう。今は幸せにされているかな、なんて、とても気になってしまう。
人生の一時をご一緒させていただいた方々。現在が幸せで生き生きとされていたら、と、いつでも思う。