私が最初の結婚をしたのは
30歳のとき
ちょうど
30歳を目前に
まわりの
昔の女友達や
司法研修所での同じクラスの女性たちが
つぎつぎと結婚していった頃でした
私は
当然
焦りました(笑)
おそらく
この焦りは
アラサー女性なら
みんなあるはず?!
かと思いますが(笑)
まわりの友達たちが
つぎつぎに結婚していって
みんな
なんか幸せそうにしている
結婚したら
幸せになれるのかな?
羨ましい
私も結婚したいな
今にして思えば
「結婚」がしたかったのだと思います
ウェディングドレスを着て
結婚披露宴を開いて
そんなのが
したかったのかな
と
今にして思えば
思います
そして
結婚=幸せ=結婚さえすれば良い
・・・と、まあ
なんとも、なんとも
浅はかな、、、、、
思い込みをしていました(笑)
その結果
当然ではありますが
2年で離婚をしたくなり
結果、3年強で
離婚届を出しました
相手は
当時、付き合って4年経っていた
元司法試験受験仲間
お互い
司法試験に合格し
いわゆる同業者でした
しかし
彼はすごく多忙
反面、私は
ありがたいことに
かなり融通をきかせてくれる
法律事務所勤務
だんだん
すれ違いの生活になっていきました
私は
夫婦なのに
一緒に暮らしているのに
家に帰っても
いつも誰もいない
一緒に
近くの神社のお祭りにも
ふらっと行くこともできない
とても、とても
どんどん、どんどん
孤独感を感じて
それを
どうすることも
できなくなってしまいました
結婚して2年を過ぎた頃
私は幾度となく
元夫に対して
離婚を申し入れるようになりました
今にして思えば
「離婚したい」
と言い出すことにより
より深いコミュニケーションをとりたかったのだと思います
その後になって
女性は喧嘩をすることにより
深いコミュニケーションを取ることを望むのだ
ということを知りました
当時の私も
「離婚したい」と言ったら
当然
「なんで?」
と聞かれることを予定していました
けれど
彼は黙ってしまうばかり
何も
コミュニケーションは深まりませんでした
そのため
結局
2人の距離は全く縮まることはなく
そのまま
物理的な距離も離れ
離婚となってしまいました
というのは
仕事、結婚生活のどこにも行き場のない
行き詰まり感を感じて仕方のなかった私は
自分も
元夫と同じように
やりがいのある仕事に就けば
元夫とのバランスが取れるのではないか
と思ったからです
要は
「構ってちゃん」
ではなくなるのかな
と思ったのです
そこで
裁判所はあるけれど
弁護士はいない、という
いわゆる弁護士過疎地と言われる地域への赴任を
自ら志願して
赴任することにしました
その結果
私は単身赴任することになりました
その結果
事実上、別居
そう
結果的に
離婚がしやすくなってしまったのです
地方に赴任してから
私は
元夫とのその距離感がちょうど良いことに
夫婦としての違和感を感じるようになりました
「離れていてちょうどいい、って
夫婦としてどうよ?」
と
そんな頃
2番目の元夫と出会いました
そして
屈託のない憎めない性質の元夫は
出会って2回目で
私に対して
無邪気にプロポーズをしてきました
プロポーズをされたことのなかった私は
単純に喜んでしまいました
「プロポーズされた!!!」
ってね(笑)
でも
そこでも自分ツッコミです
「夫がいるのに
喜んでいる、ってどうよ?」
って
その頃です
元フジテレビアナウンサーの
内田恭子さんがご結婚なさって
「私の人生で一番嬉しかったことは
夫と結婚できたことです」
みたいなことを言っていたのです
ああ、、、
私は、そんな風に思えないなあ、、、
そう思ったのが
かなり決定的でした
そんな風に思える
結婚をしてみたいなあ、、、
そう思って
やっぱり
離婚することにしました
東京を離れる前に
何度か離婚の話をして
地方に行って
離婚熱は冷めたかと思い
やっぱり
離婚、でした
私の追い求めるためのものには
ちなみに
私が認識している限り
元夫は
私は何を追い求めていたのか
どういう関係を求めていたのか
何が不満だったのか
何が不足だったのか
おそらく
全くわからなかったようです
でも
だからこそ
深いパートナーシップを築くことは
お互いできなかったのかもしれません
残念ながら
結婚して3年半
お互いまだ駆け出しの社会人
子なし
同棲みたいな夫婦関係、結婚だったと
私は思っています