離婚、って
①離婚の合意をする
②(未成年の子供がいたら)親権者を決める
③(子供がいたら)養育費や教育費などの分担を決める
④(まだ小さい子供がいたら)面会交流について決める
⑤(夫婦でつくった財産があったら)財産分与をする
⑥(年金分割をする必要があったら)年金分割をする
という、6つのポイントだけなのですよ
②〜⑥については、カッコがついているように
場合によっては①だけでも良い
そして③とか⑤が分割払いだったりするときには、公正証書を作っておいたら、もし万が一、支払いが滞ったときには、財産を差し押さえられるよ、という安心がついてくるし
⑥は2人で公証役場に行って認証をしてもらうか、2人で年金事務所に行って手続きをするか、だけ
たった
これだけなのに
「離婚は大変」
「離婚は結婚の何倍も大変」
と言われるのは
それぞれのポイントをクリアーするために
すったもんだがあるため
そう
そのすったもんだと言うのは
大抵ほとんどは「気持ち」の問題
例えば
①のポイントで言えば
「離婚していいのだろうか」
「親に迷惑がかからないだろうか」
「子供が傷つかないだろうか」
「子供が可哀想ではないか」
「子供がいじめられないか(今どきはそんなことはないけど)」
「周りの人になんて言われるだろう」
「わがままなんじゃないか」
「私の我慢が足りないのではないか」
「まだなんとかできる余地があるのではないか」
「まだ、がんばれるのではないか」
という
まず離婚を言い出す前の
自分自身の逡巡があるだろうし
言い出しても
その後に
相手の人の
「どうして」
「悪いところは直す」
「まだなんとかなるよ」
「なんとかするよ」
「そんなこと言わないで」
「子供はどうするのか」
「養育費は払わない」
「お前一人で育てられるのか」
「財産はやらん」
「お前一人で出て行け」
「ここは俺の家だ」
うんぬん、かんぬん。。。。
ということがあり
それに対して
その言葉をそのまま間に受けてしまって
「やっぱり、自分には離婚は無理」
「一人では暮らして行けない」
「一人では子供を育てられない」
「やっぱり私が我慢すればいいんだ」
なんて
なって
それから
また
何年も
何年も
経って
私(弁護士)のところに来たり
来た後でも
勇気がなかったり
怖かったり
自信がなかったり
言い訳をしたり
飛び込むことが怖かったり
親や周りの人に言われてやめてしまったり、ひるんだり
そんなことが
あって
なので
①のポイントは
一番、飛び越えるのが大変
いわば、山を登り始めて
一番の難所が一番最初にやってくる、という感じ
ここを乗り越えてしまえさえすれば
あとは
そこまで大変ではない
あとは下りみたいなものだ
それでも
引っかかるのは
「親権をどちらにするのか」
ここでも
片親親権性の日本では
どっちにするのか戦争を
何年もかけてやったりもする
もしかしたら
そういう紛争自体をなくすために
共同親権性にするのかな
そうしたら
そもそも
親権争い、一切なくなるものね
もちろん
その後の
共同親権を前提とした上での
実際の取り扱いなどの実務面は
かなり大変に色々と考えていかなければならないのだろうけど
(親権=一緒に住む権利(監護権)ではないので
共同親権だとしても、離婚後、別居後、どちらと一緒に住むのか
という問題は残るだろう)
そして、③の面会交流でも、揉める
そもそも、お子さん自体が会いたくない、という場合もあるけれど
面会交流権は、子供の権利でもあり、別居親の権利でもある
そのあたりの調整が大変
そして
次の④財産分与
もうここまで来れば
あとは、財産資料出して、財産額を確定して、半分に割れば良いだけ
と言うのが
裁判所や弁護士の認識だが
ここにも
当事者であるご夫婦それぞれのしがらみ=気持ち
というものが
ひっからまってきて
ただ単純に
計算だけをして
数字を出せば良い
ともならない
なかには
財産を分けること自体に
ものすごい抵抗感を覚える人もいるし
それで
財産資料を出すこと自体を拒む人もいるし
拒んだところで
結局は、裁判所を通じて、
金融機関などから資料を出してもらうのだけれど
もちろん
そのための手間や時間はかかるし
かといって
素直に出したくない
という心理そのものは
心理としては尊重する
だからこそ
この①〜⑥という
単純な
ただ
「決めれば良い」
という作業が
何年もかかったりもするのだ
本当に
(離婚を)望まない方の配偶者からしたら
「忍び難きを忍び」「耐え難きを耐え」
で
仕方なく
なのだろう
だからこそ
その手続きを
淡々とできるだけ進めることのお手伝いをするという仕事をしている私たちは
恨まれるのだろうな
「別れさせ屋」なんてディスられるのだろうな
でも、ね
その反面で
助かっている、幸せになっている、笑顔になっている人たちも
当然
いるわけで
そういう人たちが
笑顔になること、安心をすること、幸せになること、人間らしくなること
を望んで
それを求めて
そして
それを実現することのできる物理的、制度的なツールを使うことの手続きをすることのできる
私たち弁護士や裁判所といったところに
助けを求めにくるわけで