私が母娘問題で
私の母がいわゆる毒母で
ということは、これまでに、このブログでも、散々書いてきた
最近、さらにその次に、進むかのような出来事がよく起こる
私の最初のフェーズは、母を助けなきゃ、母は可愛そう、母は私がどうにかしてあげなくちゃいけない
みたいな感じ
だからこそ、私のカウンセリング・セラピーの師匠である明美ちゃんこと岡部明美さんは
「みおちゃんは、いなくなったお父さんの代わりを、お母さんのために、やってあげてたんじゃないの」
という、いわゆる見立て
心理学や心理カウンセリング、心理分析では、いわゆる仮説、みたいなものを立ててみるらしい(私はできないのだけど)
そう言われてみれば、確かに、父と同じ職業に就いて、父と同じような形態で、今、私は母と仲違いをしている
その原因となった出来事も、私は「あーあ、お母さん、またお父さんのときと、全く同じこと、してるよ。これがお母さんの毎回のパターンなんだね、あーあ。」と、
すごく客観的に見ていて
それを、私がどうこうしてしまうのは、それはなんか立場が違うかな、と思い、お母さんが自ら振り返り、気づくことを阻害しないようにした
お母さん、気づいたかな
でも、こういうこと、って、往々にして、こっちがこう思っているとき、って、そうならないのよね
自分が「あーあ、もう、いいや」みたいに、いわるぬサレンダーをして、初めて、物事って進むみたいですよね、面白いですが
そう言えば
私も、この、サレンダー的感覚は、かなり幼い時から感じていたような気がする
最初に明確に感じたのは、小学4年生のとき
生徒会役員選挙に立候補したけれど、ガチガチの緊張して、ガチガチに堅めていったからか、あえなく、落選
「なんだよ、あんなのが当選するの?」
と、翌年は、最高峰の会長選挙に、超ゆるゆるであえて、挑む
ことごとく、手を抜くよう気をつけて、抜いて 笑
思ったことを、そのまま、言って
ってやったら、当然した
それ以来、適度に力を抜いた方がうまくいくんだ、と思ったけれど、
その15年後の司法試験受験だけは、ガッチガチに堅めないと、できなかった、なぁ
ってなことで話を元に戻すと
最初は、お母さん、可愛そう、お父さんひどい
↓
セラピー、カウンセリングを受けて
↓
なんだ、お父さん、悪くないじゃん!
諸悪の根源は、お母さんじゃーーーー!!!
↓
この毒母に気づいた期間が8年くらい
実際、客観的にも、私の母は、いわゆる毒母のカテゴライズに当てはまる性質や出来事、やってきたことがいくつもある、いわゆる毒母
気づけば気づくほど、この、毒母、というカテゴライズに当てはまる
↓
そうすると、なんだ、私、悪くないじゃん
ってゆーか、私、超可愛そうじゃん!
てめー、毒母!!
と、ばかりに、毒母を責め、毒母のせいにし、自分は悪くない、むしろ、自分は可愛そう、こんなんなったのは、母のせいだ
と、いわゆる「抜けてくださいね〜」と、心理学、自己啓発、自己探求、スピリチュアル、等々では言われる、「被害者」「犠牲者」の罠に
ま、ま、まさか?!
わ、私が?!!
って、散々、人には「や〜ね〜、あの人、犠牲者辞めればいいのにね〜」なんて言ってたのに
まさか、まさか、私が?!!!!
という気づきが、ここ1週間
仲の良いお友達2人が、ハッキリと、スッキリと、気づかせてくれた
まだまだ、お子ちゃまよ、先があるわよ オホホホホ〜
ってな具合に、、、
なるほど
なるほど
だから、かな
このタイミングで
このタイミングだからこそ
最近、実は、私、内向的?!
というのが出てきた
エニアグラムも、ずっと7だと思ってきて、実はそれは、母が7っぽく見えたから、7をやっていたんだ、演じていたんだ、ということがわかった
ただ、母の7も、実は疑わしい
もしかしたら、女系の系統で、この、タイプ7的な、明るく社交的な女性でいなければならない、みたいな呪縛があったのかもしれない
そう言えば、母も、かなり内向的だ
いや、もしかしたら、私以上に、だ
表面的な社交的に見える側面で、もしかしたら、私たち自身も騙されていたのかもしれない
いや、母自身も、まさか、自分が演じている、なんて、微塵もわからない
無意識でやっているから
ってことで、お母さん画面、母方系統の女系家系のことを、もしかしたら、お母さん、私もやってたのかもしれない
ってことは、もしかしたら、おばあちゃんも?!
ってゆーか、いったい、どこからなの?!!
少なくとも江戸時代からだろうが
怖い、怖い、無意識
ってことで、段々、化けの皮が剥がれてきた私だか(その結果、どんどんと私としてはオタクっぽくなっている。あ、でも、よく考えたら、私、もともと、保育園時代はオタクっぽかったよな、笑。人見知りだったし、外遊び好きでなかったし、運動、得意でなかったし。)
その目線、視点で
これまでの私の世界を見つめてみると、、、
私が大変お世話になったセラピスト、カウンセラーの女性の先生2人
2人とも、私よりも10歳も20歳も上で
私が母がそうではないかと思っていたエニアグラム7で、ウェルスダイナミクスのスターで
あれ、これって、もしかして、やっぱり、母を求めていたのかな、って
十分に愛を与えてもらえた感じがないから
欲しい形や、内容で、愛を全然くれなかったから
むしろ、彼女が与えようとする愛は、妨害行為でしかなくて
というか、私の母は、かなり犠牲的、自己犠牲でやってるから、結局、文句が出て、自分で、自分のことを台無しにしてる(ま、これも、母のなにかのトラウマのようなものなんだろうけど)
だからか、私の友達は10歳くらい年上の方が多く、私は、母を投影しているのだろうな、と、よく思う
そんな私に対して「もう、次いく頃だよ〜、犠牲者、被害者、やめるときだよ〜」と、なんだか言われているような、いや、同年代の友達たちは、ズバズバと言ってくれる
もう、やめるときだよ、って
でも、やめる、ってどうするの?
何をすればいいの?
って、すぐ、何かをしなければ、と思ってしまう思い癖のある私だし
これまで学んできた摂理からしたら
「もう、すべては、そこにあるよ」
ということなんだろうな