シータヒーリングなどを教えている
長谷川暢子さんの
女神のパートナーシップ講座を受講しています
長谷川暢子さんとの出会いは
結構古く
6年前
同じくシータヒーリングを教えていらっしゃる
名古屋の友人の方からのご紹介のお客様が教えてくださったのです
このお客様も私の友人のシータヒーリングの生徒さんで
当時の私は
スピリチュアルというものに
まだまだ万能の神感を抱いて妄想していたものですから
「シータヒーリングをやっている
ということは
人間として
ものすごくできた人だろう」
くらいの
思い切り間違った
妄想を抱いていたものでした 笑笑
スピリチュアル系の学び、ってね
やってみて分かりましたが
単に
もともと、すでにそこにあるものを
ただ、解明したり
説明をしたり
するだけのものなので
スピリチュアルを学んだからといって
実践したからといって、
万能な人間になる、ってわけではないんですよね
ただ、単に
その人が
いわゆる生きやすくなるだけ、って感じなんじゃないのかな
ってことで
話を戻すと
当時の私は
シータヒーリングとか、そういう
いわゆるスピリチュアル系、みたいなものに万能感を感じていたので
「私も学ばなきゃ!やらなきゃ!」
(↑ ここ、ポイント笑
完全に、恐れから、不足感からの発想ですよね 笑笑)
と思って
そのお客さんに
東京でもシータヒーリングが受けられるところはないか
と聞いたのですよね
そうしたら
名古屋出身?の暢子さんを教えてくださった
けれど
講座を受けるには至らず
日程が合わなかったので
そのまま、となり、、
その後
実際にシータの授業を受けるようになったのは
たしか2020年
その時に
オンラインで初めて基礎講座を受講しました
今でも
シータの技法は
私にはイマイチ合わないのだけれど
当時は
そういった
「各手法ごとに
やり方や表現の仕方が違うよ」
みたいなことが
まだわからなかったから
スピ色全開の言葉を使うシータの技法に
抵抗感ありありだった笑笑
今でも、抵抗感、あるかな〜〜〜
その後、シータのクラスは
抵抗感を持たないで済んだMinori Sato先生のところで
彼女自身
最初、スピ用語に蕁麻疹出まくり
とのことだったので
スピ色を弱めて説明をしてくれるためか
私も大丈夫だった
んで、前置きが長くなったけど
そんな、こんなで
暢子さんとは
その後、Facebookで繋がっていたのみ
だけど
その後に
暢子さんの投稿に上がってくる
23歳年下ダンナさんとの
ラブラブな様子の
婚約期間と結婚をしたという内容
なんと❤️ なんと❤️
目を見張るではないか
羨ましいではないか
ということで
その暢子さんが
女神のパートナーシップ講座
というものを始める
とのことだったので
早速、受講してみることに
自分のことも、もちろんそうであるが
私自身、パートナーシップの末路と、これからに期待をかける女性たちと
日夜向き合っている存在なので
暢子さんの教えてくださることは
色々ととても参考になる
で、
今日は久しぶりに個人コンサルを受けた
前々回の講義で
「恋愛がうまくいかない、ボトルネック(根本原因)はなにか」
というお題が出たが
ようやく
なんとなく
これではないか
と思えるようなことが出てきたからだ
それは
「私は愛されない」
これは、私の信念
もちろん、頭では、愛されている、そういう現状、事実がある
ということは
わかる
でも
感情?感覚?
では
その
「愛されている」
を
まるで受け取らないようにしているかのようだ
暢子さんに
「とても幸せで満たされた人生をイメージしてください」
と言われた
私の中で
昔から
なぜかある
ビジョンとして
伊豆だろうか
お茶畑越しに海の見える
小高い日本家屋の縁側で
のんびりとお茶を啜りながら
おじいさんと日向ぼっこをしている
という光景が思い浮かぶ
ひとまず
これを思い浮かべる
ああ、いつもこれだったな
と思ったら
違うバージョンも出てきてくれた
北海道
道東、釧路のあたりの
同じく海を見渡す小高い丘の上の家
家の窓から
外に見える広大な海を見ている
ああ、
静かだな
ああ、
ゆっくり、できるな
ああ、
仕事、ないんだな
と
目を開けると
暢子さんから
「誰と一緒にいた?」
と聞かれる
たしかに
一人でそこに住んでいる、という感じではなかった
家の中には一人だったけれど
家族が出かけている、という雰囲気だった
「ということは、パートナーがいるのね」
と暢子さんは言う
ああ、なるほど
たしかに、そういうことか
でも、もう一人くらいいそう
息子か?
頭では
学校どうするんだろう
みたいに考えてるけど
もう息子は大人なくらいな年齢の様子
私も初老、といった様子だ
みんな
出かけているので
寂しくはない
帰ってくる
その後
「愛がこじれているよね」
というお話
「溺愛されているとしたら、どんな感じ?」
「いや、うざいっす」
「え、なんで?溺愛されてるんだよ?」
「ベッタリされたうざいっす」
みたいなやりとり
「溺愛=ベッタリじゃないわよ〜〜〜笑笑」
たしかに、そうだ
なぜか
溺愛される=ベッタリされる、うざい
みたいな構図が出来上がっている
もしかして、これは
お母さん、なのかな
私の母は
過干渉系だ
そして
私からすると
自分勝手に
自分の考えで
勝手に
過干渉を
して
それが受け入れられないと怒る
という
なんともまあ
こう書いてみても
うざい、重い、うっとおしい、、
人なのだ
もちろん
彼女が
それを愛だと勘違いをして
彼女なりに
どこかトンチンカンに
精一杯やって
自分をすり減らしていることも知っているけれど
彼女は
このように
人への愛を
知らないのか
履き違えているのか
そのせいで
どうやら父と離婚になったらしい
このくだりは
散々、散々、何百回と聞いているので
私のモデルケースとしては
定着化している
そう
母は
父に
母の愛を受け入れてもらえなかったのだ
そして
父もまた
なぜ母が父の愛を受け入れてくれないのか
理解すらしようとしてくれないのか
が
悲しかったのだと思う
二人とも
すれ違い
で
父は
父の愛を
受け入れてくれる人が
見つかったのであろう
、、、で
私が欲しい
愛のかたち
上記のように
私は
どうやら
一人で静かにいさせて欲しいようだ
こっちを向いていられると
なんだか気を遣ってしまう
相手は、相手、で
好きなことをしてくれていて
楽しそうにしてくれていて
それを見ているのが
どうやら好きなようだし
それが安心するらしい
ずっと
落ち着かない多動でよくしゃべる
母の元にいたからかもしれない
母の長女として
離婚という一大事を乗り越えられなかった母の長女として
しっかりしなければ
母を助けなければ
家族をどうにかしなければ
そうやって
父の大黒柱の代わりをしていたり
していたからかもしれない
その
代わり、を
もう
降りたのかも、しれない
そして
私が
欲しい、もしくは、安らぎを感じる
愛というのは
そういえば
これは
父の愛のかたちだと
ふと
思えた
静かな愛のかたち
父は
私たちには
何も
言わなかった
けれど
最後まで
私たちが大学に入るまでは
どんなにきつかったであろうとも
家を出なかった
そして
母に家を残したし
私たちの学費も、私なんて司法試験の予備校のお金も
すべて出してくれた
それによって
私たちは
自分たちで
父と連絡を取ることができ
父との関係を維持することができた
それは
今になって
こうして
特に離婚分野と取り扱う者になってみると
とてもよくわかる
いくら
子供が別居した親と交流や関係を持ちたいとしても
自分から連絡や関係を持つことのできない年齢であれば
没交渉となってしまうことも
よくある
母は
父への未練や執着といったようなものが半端なかったから
むしろ、私たち子供を
父のもとへ向かわせようとしたり
父との接点を取らせようとした
それが結果となって
私たちきょうだいが父との関係を維持することのできる結果となった
私は父のような人
を愛したいのかもしれない
お父さんと似た人と結婚する、って
よく言われることだけれども笑