両親がどうして離婚することになったのか
どうして結婚がいかなかったのか
という
母の永遠の(おそらく今も、そう思っているだろうから)
テーマ、悩み、なぞ
のような
ものが
ふっと
なんとなく
わかったような気がしました
母が
どうして
あんなに
そして今でも
父の女性関係に怒っているのか
父を射止めた女性を
どうして
あんなに
攻撃するのか
ずっと
不可解でした
というのも
私から見ていても
おそらく誰から見ても
客観的にも
母が
父に対する愛情や
嫉妬のようなものを
見せたことはない、
というか
見て取れなかったのです
だから
母は、父のことが好きで
それで怒っているのではない
のではないか
とずっと思ってきたのですが
ふと
今日
私が自分の内面を観てきて、観ていて
ふと
気づきました
母があんなに怒っていたのは
父のことが好きだという
自分の感情に気づきたくなかったからではないか
それは
プライドであったり
恥であったり
どうしていいかわからなかったり
かっこ悪かったり
そういったものを
無意識に
自分で
自分のことを
隠してしまったからなのではないか
と
その結果
側から見れば
周りから見れば
単なる攻撃的な女性となっているのみ
こういうこと
よくありますよね
そうそう
私でいうと
夫の不倫の相談にくる方たち
そうそう
私のカウンセリングの師匠の岡部明美さんに
先日
岡部明美さんのワークショップに出た際に
「みおちゃんは
お母さんに、お父さんの悪口を言ってほしくなかったから
そんなの聞きたくなかったから
だから
依頼者さんやご相談者さんの恨み言、恨み節を聞くのが苦手だったのではないの?
すぐ解決をしようと、がんばってしまったのではないの??」
と
その時には
全然、まだ
ピンと来なかったけれど
今
こうして書いてみて
そうだったのだ
と
ふと
思う
気づく
そう
人を好きになること
人をめっちゃ好きなこと
そして
それが受け入れられないこと
拒絶されたように感じること
一生懸命
その人なりに
好きな人のことを考えて
その人のために
自分になりに考えて
精一杯やったことが
その人には全く受け入れられなかったり
むしろ怒らせてしまったり
そんなことって
たくさん、あるよね
私の両親は
そんな
決定的な出来事があって
おそらく母は
それを
謝れなかったのだと思う
私も謝ることのできなかった人だからよくわかる
なんで、謝らなければならなかったのか
自分のした行為の正当性を主張しようとする
でも
正誤ではないのだ
人の気持ちって
父は
その気持ちに
ただ
寄り添って欲しかったのだと思う
配偶者、だからこそ
この世に唯一の
配偶者、だからこそ
非を認めて
仮に
非なんてなかったとしても
優しく
譲って
寄り添って欲しかったのだと思う
それが
できなかった
拒まれたことが
どうやら
父にとっては決定打だったようだ
母は
まだ
それを認めたくないようだ
理由を、他に
求めている
それも
構わないと、思う
その人の自由だ
その人の人生だ
いろんな
生き方があっていいと思う
でも
私は
もう
失いたくないと
思う
やっと見つけた
貴重な感覚、感情だから