以前にも
もしかしたら
すでに
7月7日に関するブログを
書いているかもしれない
今年は
11年目の7月7日だ
私にとって
7月7日は
2つの記念日である
一つは、最初の結婚記念日と
二つめは、3回目の離婚記念日だ
後者の方が
私の人生にとっては
とても印象深い
私は
ここから続く「私に帰る旅」=心理系の勉強を始めたのは
ここからだ
11年前の7月7日
それまで
当時の夫は
朝早い仕事であるにも関わらず
2週間くらい
午前3時帰りが続いていた
当時暮らしていた
札幌のススキノからだ
たしか、
それが続いて1週間くらいの
7月1日頃に
どうしてそういうことになっているのか
という話し合いの場、を設けたように記憶している
当時の
彼の言い分は
私が子供を欲していたけれど
私の仕事ぶりを見ていると
とても子供を育てられるような状態じゃない
だから
僕が育てる
そのために
プチリタイアすることができるように
営業をしているのだ
ということであった
当時、30代後半
子供を欲していたけれど
事務所を経営しだしてまだ3年くらい
確かに
若い頃の延長で働いていた
だから
彼の言い分には
少し納得できた
しかも
向上心があるところ
こういった建設的、前向きな考え方は
私自身にもあったので
良いことだ、と思った
それで
彼のススキノ通いは了承した
しかし
彼が
今は将来のために
仕事に積極的に集中をしたいというのであれば
私は手持ち無沙汰となってしまうし
私も集中したいと言った
ーーこの辺りは
大学生の頃に
当時付き合っていた先輩の彼氏が
資格試験の勉強を始めて
構ってもらえなくなって
それなら
私も資格試験の予備校に通い出せば
その暇を持て余さなくていいのではないか
という考えから
司法試験の勉強を始めたのと
同じパターンだーー
当時、事務所から離れていたところで
元夫さんと同居していた私たちは
それぞれ
未来に向かって
私は事務所の近く
彼は
彼がやりたいことの利便性の良いところに住むことにして
その話し合いの後
二人で、元夫さんの親友みたいに仲の良いお友達の不動産屋さんに行って
二人のそれぞれの家を見つけに行った
確か
私の記憶では、そう
でも
人間の記憶って
その人によって
すり替えられてしまったり
思い込んでしまったり
するものだから
たぶん、
元旦那さんがこれを読んだら、違う、と
言うのかもしれないな
不思議なもんだよね
そんなことで
すでに「前向きな別居」が決まってしまった後の
7月7日
相変わらずのススキノ通いは続いていた
週末の土曜日
元旦那さんに誘われた
共通の知人が開催する
ホームパーティのようなものに同行した
その帰り
彼は
私と一緒に帰らず
また、ススキノに行くという
私は
今日ぐらいは
一緒に過ごしてほしい
と懇願したが
ダメ
やはり
彼の親友のように仲良くしているお友達が
どうやら離婚の相談があるという
どうしても行かないと、とのこと
皮肉かな
離婚の相談に乗った後に
自身も離婚になるとは
ちなみに
この時のお友達も
その後、離婚
彼は
お友達と仲良く、それぞれ、離婚したことになる
当時の私の精神状態は
もう限界で
案の定、深夜3時に帰ってきた
元旦那さんと
話し合いなのだか
夫婦喧嘩なのだか
私から
もう離婚してくれ
と言った
それを
彼は冷静に受け止めた様子で
私に確認をした
確認をされたので
私は、自分の言ったことの顛末を考えた末
それで、いい、と確認した
それで
離婚が決まったようなものだった
実際に離婚したのは
それから9か月後だったが
奇しくも
その7月7日
私にしては珍しく
緊急出動で
夜の
この離婚協議(話し合い、夫婦喧嘩?)に
立ち会うことになった
当事者双方のやり合いに立ち会うことは
滅多にない
でも
終わってみて思うことは
やっぱり
たとえ
どんな内容であったにしろ
やはり
当事者双方が
お互い
顔を突き合わせて
罵詈雑言を浴びせ合ったとしても
やはり
お互い
言葉を交わす
気持ちをぶつける
会う
ということが
必要なのではないのかな
と
久しぶりに
夫婦の現場に立ち会わせてもらって、思った
私からしたら
まだまだ
若い夫婦
夫婦としても
まだまだ
若い
微笑ましい
罵り合っている内容は
第三者の私からしたら
可愛らしい
夫婦喧嘩の範疇だ
だけど
もちろん
離婚を決意して、断行した
奥さんからしたら
これは
必死だ
もちろん
人生をかけている
そこまでして
悩みに悩んで
苦しみに苦しみ抜いて
その末
おそらく
結論を出したのだろう
決意、をしたのだろう
離婚、とは
そういうものだ
女でも、男でも
もう
後戻りはしない
決意
をしたのであれば
それは強く
そして覆されない