ふと
若い頃は
いつも
どこか
に向かっている
通過点のような
そんな感じがしていた
特にそれを感じるのは
小学校高学年のとき
中学、高校
大学で司法試験の勉強を始めた頃
弁護士になったばかりの頃
一番顕著だったのは
高校と大学生の後半だったかな
だから
そのためか
私は
そのころ
一般の
いわゆる女子高生とか女子大生みたいのが
まさに「そのとき」を謳歌する
みたいなことが
どうも苦手だった
どうもできなかった
そりゃ、友達には誘われるし
合コンにもカラオケにもファーストフードにも行った
だけど
どこか
空虚感
みたいなものがあった
私は何をしているんだろう
みたいな
先を急がなきゃ
みたいな
だから
今思えば
なんか
純粋に
その時時の
恋愛とか
そういったものを
ほとんど
楽しめなかったような気がするな
「彼氏っているもの」「つくるもの」
「交際ってこういうことをするもの」
みたいなのを
とりあえず
ひとまず
やってみます
みたいな感じだったような気がする
変な言い方だけど
料理屋さんの定食を食べている
ような感じ
その
いつも
通過点のような
先を急かされているような
そんな感覚が
ふと
最近の私にはないことに気づいた
いつも
どこかに向かっていて
「今」は通過点に過ぎなかった
あの頃の感じが
ってことは
今が到達点なの?なわけなの??
私、は
いったい
ぜんたい
どこに向かっていたのだろう
改めて
たどり着いた?(着いている?)
感覚になってみると
やっぱり
よく
わからない
どこを目指していたのだろう
なにを目指していたのだろう
今では
私は
パートナーはいない
しかし
不自由はしていない
むしろ
いないほうが楽だ 笑
仕事は
相変わらず
やっていて
でも
そういえば
これじゃない
これをやりたくない
という感覚はないな
かれこれ
10年近く
このスタイルの仕事をやってきているけれど
ずっとこのままで いい
と
思える
そういえば
前に
交通事故ばっかり
ルーチンでやっていたときには
「やばい
このままだと他の仕事がおっくうになってできなくなる」
と思ったものだが
今は
離婚のみ
まさにルーチンのように
たちかわり入れ替わり
様々な
でも
みな
愛に苦しみ
愛に悩み
愛を求めた
女性たちが
私と出会ってくれて
去っていき
幸せになっていく
そういうことを
繰り返すのは
まったく
ルーチンの
退屈さ、みたいなものや
焦燥感のような感じはないし
やればやるほど
奥深いものだ
だから
なのかな
「たどり、ついた」
私は
いったい
どこを目指していたのだろう
その
目指している感じのもとに
パートナーを探して、求めて
結婚して
を
なんどもやってきたような気がする
パートナーが
いなくちゃだめだと思ったし
いない、続かない自分はだめだ
とも思った
でも
もし
今が「たどり着いた先」なのだとしたら
ここにたどり着くために
それまでの
「パートナーがいなくちゃだめだ」
みたいな
妄想?
にとらわれていたのかな
今日の午前
井上智子さんにアクセスバーズをしてもらって
私が2年間
もんもんと追いかけてきた
元カレくんを
きっぱり ばっさりと
切り捨ててくださり
そうしたら
ちゃあんと
夕方には
区切りの儀式のような出来事が起き
私って
いったいなんだったのかな
と
ふと
上の
つぶやきに
至ったわけで
なんか
「〜〜なきゃいけない」
みたいなのに
散々しばられていたな〜
自分で勝手に 笑
なんでも、あり
で
いいじゃない
優しくて
頭も良くて
学歴も
仕事も
収入も
誠実で
真面目で
家庭が好きで
家族がほしくて
子供が好きで
あ、もちろんかっこよくて 笑
そんな
全部あり!
みたいな
男性がいても
いいんじゃないか、と 笑
そして
そんな人と一緒にいたい
と
ただ
思うのであれば
それでいいのでは
ないか、と
前の定食の話に戻るが
私はいつも
目の前にある、あった
定食の中から
本当は「このお惣菜はいらないのよね」とか「このお漬物はちょっとしょっぱいのよね」
とかあっても
仕方ない、みたいな感じで
その中で
選んで
食べて
いたような
気がするな〜〜
もっと
美味しいもの
妥協しないもの
希望するもの
全部みたしているもの
を
食べたいのなら
なにも
その店の
その定食の中から
だけ
選ばなくてもいいのよね
なんで
私
そんなこと
してたんだろ